2013年11月15日

父と子は一体・・・

父が原因で、子は結果です。

この世で何物も「父」と呼んではならぬと言うのは、

原因である天が父です。

顕れているものは子です。

父と子は一体です。

天の父は我々の父と、

この父とは何かと言うと、大生命、大霊、宇宙生命です。

このことを知った時、

どこかに神、原因があるとは言いません。

神我は原因で、自我は結果です。

全ては神の子と。

この”みかん”の中にも神は宿ります。

皆さん方、内なる自己を見れば、普遍なる無限なる大霊をみるだろう。

神理を知っている人は、原因を知っている人。

すなわち神を知っている人。

瞑想の嫌いな人は、今生は神を見るのは不可能だろう。

神理は外にはありません。この肉の目に映っているのは結果です。

すべて仮想の世界、幻の世界。

私を見た時、神を観たというのは、結果である子が父を見た時、

自分と神が一体であると言うことが、可能じゃないですか?

現に皆さんの中に今働いているのは、神ですから、

私を見た時、神を観たというのは、

あなた自身の神我そのものが、大生命ですから、

放蕩息子と言うのはこのことなんですね。

「お父さんすみませんでした」と。

皆さん方、まだ遊びたいなら遊び続けてください。

結果の自分が原因に還るのが、天に還るということなんです。

私は天から申し上げているわけです。

天国とは、自分の中にあるわけです。

どこか遠くにあるわけじゃない。

現実の今の中にそれはあるわけです。

今なら、天は近しという意味が解るのじゃないでしょうか?

天国は意識状態だった。心の中にあるんですね。


皆さん方が本当に、結果である子が父に目覚めた時、

父を世に示すだろうと。書いてますね。

知花だけがこれを示しても、なかなか聞きませんけれども、

あなた方も子が父を知った時は、これを世に示さねばなりません。

これをキリストの伝導と言います。

神理はわが内にありと・・・

原因は神理です。

そのことを知りませんから、世の無知は

わたし知花が現れることによって、世は抵抗をするだろうと。

なんじの敵のために祈りなさいと、神理を知るなら敵はいないのでありますね。

実の兄弟姉妹と言うことをはっきり知るものは、ここにいないのであります。

その時、真の愛を示すだろう。


posted by ◯∞ at 00:02| Comment(0) | 知花氏の講話より | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神我の祈り 自我の祈り ・・・7


私がこの世を去る時に、後から私以上のものが現れるかもしれないということですよ。



宗教は一代限りです。

子供や娘に受け継ぐと言うことはできません。

「私は知花に何年もついてきたから、私は知花の弟子だと言わないでくださいよ」

私に似た思想を持っているものは、50何億と言う人間の中に1人もいません。

知花の教えは一代限りです。誰かに受け継ぐと言うわけにはいきません。

だから、仏教も一代限りで、釈迦の時は後からは誤謬化されましたし、キリスト教もイエスの時は正しかったけど、そのあとからは間違って教えられています。

あとからは目茶苦茶です。

だから、枝葉を作らないように・・・

今生で皆さん目覚めましょう。よろしくお願いします。ありがとうございました。
posted by ◯∞ at 23:15| Comment(0) | 神我の祈り 自我の祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神我の祈り 自我の祈り ・・・6

まず、皆さん方は本来の吾に目覚めることが一番大切かと想いますね。

だからいつも自分は普遍にして無限と言う意識状態になってください。

初めから普遍なんです。今も普遍なんです。未来永劫に普遍なんです。

そういう意識状態。

これを大発見。大発明なんです。

これ以上の発明は世の中に存在しません。これはもう世界中のノーベル賞持ってきても間に合わない。

この世のノーベル賞朽ち果てるんでしょ。

これは朽ち果てない永遠の富と言うんです。久遠の富と言うんです。

永遠に消え失せることはないんです。

この世の肩書や紙切れはなくなりますけれども、これは絶対になくなりません。

永遠、常在です。


あなた方は現実を見て、真実を見逃していたということですよ。

この世の、形の世界を現実と言います。

見える物を追いまくってたら、消極を追いまくっていることになりますよ。

自分の影を掴もう掴もうと追いまくってるようなものなんですよ。

あなたはまず真実を掴む。ね、

いつになったらそれを理解し、『あー、そうかー』というその時、本物のあなたと言うのが誕生してくるわけですね。

それを、楽しみにいつも知花は皆さんをこうして刺激してるわけですね。

これは、私がそれを食っちゃって体験しているから、こんなもんですよーと言うわけです。

だから力が籠っているわけです。体験者は語るですから。

ね、

あなた方はまだまだこの影・幻を我として生きているよと、はっきり言えるんですね。

本当にあなた方はこういうお話を聴けるのは、まれなんですよ。

私もびっくりしましたのは、何千年に一回しか聞けないお話なんです。

意味解りますかな?

その機会を逃がすと、いつになったらあなた方はこれを掴むことができるかと。

今の機会を逃がしたらね。再び次あなたが生まれてくる時に、これを教える人に巡り合うかと言う保証はどこにもないんです。

そうすると、また同じ盲目の人生を歩んで、現にあなたがこれを掴むまでは、何転生でも生まれて来ると言うことですよ。

だから死ぬものは再び生まれるというわけです。

だから本来の吾を悟らぬものは、必ずこの世に生まれて来ると言うわけです。

自我から神我に目覚めない限り。

じゃ今生で、目覚めましょうか。掴みましょうか、本質を。当たり前のことですよね。

これを人生の目的ですからね。

あなたのこの世の目的は結婚しに来たの? 子供を作りに生まれて来たの?

あなたの神我に目覚めんが為の目的でしょ。

ね、

あなた方はこの世に生まれる時は、今生こういう話を聴くということは、あなたの魂は知っておったんですよ。

知っておったにもかかわらず、真剣みがないですね。

今生、必ず神我を得て帰ると意気込んで来たんですけれど、まだまだ生半可なんですね。

本当の実感みを帯びてないということが悲しいかな、なんですねー。

私自身はそれを知っていますから、今生これを教えられる時期が来ると言うことを見計らって、幽界と言う世界からこの肉の3次元に生まれて来るには来たけれども、その意気込みさえも忘れてる人がおるわけです。

とうとうここを裏切って出て行ったものもいるわけですね。

ここから出て行ったものが、これを得ると想いますか。

考えてみて下さいよ。

ここから、立ち去ったものが今生神我に到達する人が一人だっていると想いますか。

もう落伍したようなものなんです。去ったものは。

こんなに毎日刺激してでさえも、難しいわけですですから。

ここから離れて、自我意識で生きてる人間にどうして神我に到達できるかと言うことですよ。

それはもう絶対に無理ですよ。不可能と言うことが言えるわけですね。

本当にもっともっとね、心を尽くし魂をつくし精神をつくし、汝の主なる神を愛せよと、

うんと追求せねばならない、もともっと真剣に真剣を重ねてならねばならないと。

posted by ◯∞ at 23:04| Comment(0) | 神我の祈り 自我の祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神我の祈り 自我の祈り ・・・5

言葉は神なりき、ですよ。

命に言葉があるんであって、形態に言葉があるんですか?

命に言葉がありますね。

言葉は神なりきですね。初めに言葉ありきなんです。

その言葉によってなれりですから。

だからこの肉体に言葉があると思ったら大間違いですよ。

この肉体を通して語っているのは、あくまで霊であり生命であることを知らねばなりませんね。

じゃこの肉体形態から生命が抜けたらその人言葉を持ってるの?

力を持ってるの?

神は力なりきでしょ。力は神なりきでしょ。

だから生命そのものは言葉そのものであり、力そのものであり、智慧そのものなんです。

死体。即ち生命が質料から抜けた状態を、死体と言いますが、

死体に智慧も力も言葉もありますか?

じゃ命そのものが、言葉であり力であり知恵であるということが解りますね。

じゃあなたが、個人的生命だと想っていれば、あなたに普遍的知恵・普遍的力が働きますか?

『吾大生命なり』という意識でもってなして、はじめて偉大な智慧・偉大な力を自分の物とすることができるんですね。

あなたが普遍的知恵・力を得たいなら、

普遍意識そのものにならない限り、普遍的知恵・力は働かないんです。

それを為すのはだれなの?

「自分しかないわけです。」

だから神は自らを助くるものを助くと。汝の救いは汝自身なりと。

誰がもあなたを普遍意識にする者はいないんです。

あなた以外に救い主はいないんです。

じゃ救い主は外部から来るの?どこにおるの?

あなた自らなんでしょ!

そうでしょ。

あなたがあなたのメシア(Messiah)です。

神理に対しての理解力があなたを救うのであって、神理を知らない人間が救われた試しはないのですね。

だから神理を知らぬことが最大の罪でしょ。本源本質を知らない人が罪を犯すんでしょ。

イエスが言ったのは、「どんな邪悪な罪深いものでも、悔い改めてここに入ってくるものは、ここから追い出されることはない」と書いているわけです。

「私は罪が深いから今生天国に入らないだろうと」思ったら、大間違いですよ。

あなたが自我で生きる限りは罪は消えますか?

自我を克服するには、神我を持って来ればいい。

そこには初めから完全なる存在があるんですね。

あなた方は今から完全になるの? 初めから完全性を持っているの?

初めから完全性持ってるわけですよ。今も持ってるわけですよ。

神性持ってるわけですよ。だから仏性・神性なんじの内にありですよ。

内は初めから完全です。

その完全なあなたと、不完全なあなたは全く別な存在です。

ちょうど、このコップにゴミがついてるようなものなんです。

コップそのものは1度も汚れたことがない。皆さん方、コップが汚れてると言いますが、

コップは1度も汚れてませんよ。コップとごみとは別です。

あなたの完全なる神我と、あなたの迷妄とは別ですよ。あなたの作ってる自我意識とは、コップについてるゴミのようなものなんですよ。

あなたの神我についてる自我意識と言うゴミを落とせば、いつでもそこにピカピカのあなた、完全なるあなたが存在してますね。解りますね。

だから、罪のことを心配することありません。これは罪と言うのは幻のごとくなんです。

コップについてるゴミのようなものなんですから・・・

posted by ◯∞ at 22:32| Comment(0) | 神我の祈り 自我の祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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