2013年10月20日

神我の祈り 自我の祈り ・・・4

この肉の耳から入ってくるのは雑音です。

それをサタンの誘惑と言うんです。

あなた方のサタンの誘惑と言うのは、目の誘惑、耳の誘惑ですよ。

今まで散々この誘惑に負けて来たんじゃないですか。

五感的眼、耳に捉われてはなりませんよ。

支配されてはなりませんよ。

あなたがこの肉の目で見てるのは皆、影だ映しだと解れば、この肉の目で見てるものから影響受けることはない。

耳から聴くものが雑音だと解れば、耳の影響受けない。

聴いて聞かず、見て見ずです。

そういうことができるようになると、あなたに苦しみありますか?

あなたを今まで散々苦しめてきたのは誰なの? 肉の目であり口であり耳だと想う。

それに頼って生きたがゆえに苦しんだんですよ。そうでしょ。

まだ頼って生きるの?このサタンに・・・

この五感と言うサタンを克服せねばなりませんよ。

肉の目が今まで散々苦しめましたね、色々の悪いもの見せたり、死を信じ込ませたり、色々の暗示をかけたのは何なの?

肉の目であり耳であり口であり鼻ですよ。

これを五感の感化と。「サタンよ退け」という意味は、五感よ退け!という意味なんです。

解りますか?

あなたをこの世に長い間閉じ込めていたのは、この五感というサタンじゃないですか?

その背後には直観と言うのがあるんですよ。

第六感じゃないですよ。

世の中には五感の背後には六感とうのがあると言いますが、とんでもない!

直観があるんですよ。

直観と言うのは、直接・神我から来るもの。即ち天啓です。

インスピレーションです。霊耳・霊眼です。

あなたは常に心で観て聴かなくちゃならないんです。

肉の目で見て、肉の耳で聞く限りまだまだサタンに支配されてるということです。

悩み苦しまなければならないんです。

だからこの知花は、悪い状態を見ても見て見ぬふりですよ。

本物だと想っていませんから。そこから悩み苦しみを拾うと想う?

この五感の肉の目で見てる世界から。肉の耳で聞いてそこから苦しみを拾うと想う?

あなた方はこの耳で外部から拾うから苦しむんですよ。肉の目で見て外部から拾うから苦しむんですよ。

見て見ず、聞いて聞かず、言って言わず。

その五感をのさばらさない。サタンの誘惑に負けない。

今、完全に私たちは五感のサタンという誘惑に負けてきたわけですね。

だから何を見ても、これは本物の世界ですか、偽りの世界ですか?

偽りだと解れば、あなたはそこから影響を受けることはないだろうと。

だから、この世の影響受けない処に留め置かれたというのは、五感の目や耳や口、感化の支配を受けないときのみです。

その時、私たちの心は安らぐわけです。平安となるわけです。

あなたが、五感の感化の影響を受けてる時、あなたの心は一時だって休まることはありません。



楽しいかなと一時思うと、すぐ曇ってしまって、・・・

いろいろとごちゃごちゃになりますね、頭の中は・・・

それをさせたのは、五感の目であり耳であり口です。

はっきり言いたいことは、『吾は姿形に属するものにあらず、吾は遍満する生命であり質料であると。』

言うことの自覚を持ちなさいと。

常に言うたらよかろうと。常に想ったらよかろうと。

これが本当の意味での明想であり、祈りです。

だから、神の臨在感が、神我の臨在感が、本当の祈りなわけです。

だから、『吾は五感の拡声を使っては語るけれども、吾は霊より語ると。』

神我から語る言葉は、『神の言葉』となるわけですね。


posted by ◯∞ at 21:43| Comment(0) | 神我の祈り 自我の祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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