2013年03月08日

生まれる

知花敏彦氏は、満州で生まれました。8人兄弟の5番目で、知花氏のお母さんは、この子を産むと命を落とすよと言われたにも係らず、知花氏を産み落とすと同時に、命と引き換えにこの世を去りました。

まだ、お腹の中にいたころ、ある日、日本の坊さんの格好をしたものが戸口に現れ、「この子は大切に育てれば、世を救う大聖者になるが、育て方を間違えると、世を騒がす大泥棒になる」と予言されたそうです。すぐに後を追いましたが、姿はもうなかったそうです。

その当時、まだ戦時中だったので、大変に貧しく厳しい時代を過ごしたようです。幼少時はカエルをすりつぶしたスープで育てられました。栄養不足もあったのでしょうが、一日中座ったまま動かないような子供でした。

その後、沖縄に帰り、知花氏は親戚に預けられました。そこでもまた、厳しい体験をしたようです。沖縄のおじさんの家だったので、漁師の方で大変に荒っぽく、大酒飲みだったそうです。そこで、大酒飲みの癖がついたと言っていました。例えば、素潜りで海に入り、寝ているサメのしっぽにロープを結んでくるとか、いろいろな体験をしたそうです。そして、そこの方が亡くなると、今度はまた別の所に預けられるという風に、親戚や兄弟の家を転々としたそうです。誰を自分の親と呼び、誰が自分の保護者なのか解らずに、苦しい思いもしたそうです。

何で自分だけが、こんなに苦労して苦しまなくちゃならないんだと、何回も思ったそうです。とうとう最後には、これだけの苦労と困難を、初めから乗り超えられる、という状態で生まれてきたんだというのが分かったそうです。
あとから聞いたのですが、幼少時だけでなく、いろいろな体験をしたのは、毎日朝晩多くの方に同じ講話をするという使命のために必要なことだったと・・・

さて、学生時代の話ですが、毎日お弁当がイモだけで、同じ兄弟のものは白いご飯を持ってきているのに、預けられてる自分の方はイモだけなので、大変イヤな思いをしたようです。しばらくはイモを見るのもイヤだったと言っていました。

学校の授業では、カバンに教科書とかは入れず、虫とか草とかをつめて行き、「これはどうして生きているんだろう?なぜ、動いているんだろう?」というようなことばかり考えて、命の追及をしていたようです。

ある時、学校の先生が黒板に「命」と書き、それを教えました。その時、「先生、命の意味を教えてください」と言ったそうです。すると先生は、命はこう書いてこうして・・と。「書き方、読み方じゃなく、命の意味を教えてください」と。すると、意味なんてどうでもいい、書き方読み方さえわかればいいと怒られたそうです。よーし、普通の先生ではわからないから、校長先生に聞いてみようと、校長先生に会いに行って命の意味を聴いてみると、また理屈っぽい子供だと、黒板消しで頭が真っ白になるまで叩かれたそうです。それで、もう学校が嫌になり、ここは本当のことを教える場ではないんだと、それから学校は遊び場になりました。

学校は好きだったのです、友達がいっぱいいて遊べますから。家にいると、畑仕事とかヤギの草刈りを手伝わされますので。学校には行くけど、授業はほとんど聞いていないで、虫とか石ころとかを見て「なぜ、動いているんだろう?どうして生きているんだろう」と考えていました。
ある時、大変なことが起きました。体育の時間中に、カバンの中の虫や毛虫なんかが、全部教室中に這い出てきて、教室に帰ってみると女子生徒が大騒ぎになりました。その時もこっぴどく怒られ、「もう来るな!!」と言われました。  ボリビアの体験へ
posted by ◯∞ at 10:31| 知花氏の生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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