2013年03月08日

ボリビア―命・全てのものとの全一体感

中学卒業後、単身ボリビアへ渡りました。
もう日本にいては大変だ、おかしくなるというような焦燥感も感じていたようです。
農業開拓民として、一人ジャングルに入り、自然の中で生活をしていました。
そこでの体験で、水飲み場があるのですが、そこはコーヒー色をした水で、鹿や動物が水を飲みに来ているので、人間が飲んでも大丈夫だろうと飲んでいたのですが、向こうはこっちを見て、何か変な生き物がいるなと見ているのです。こっちも向こうを見て、何か変な生き物がいるなと見ているのです。そこで、お互いに顔を見合わせ、こんにちはとあいさつをする、向こうも頭を下げてあいさつするのです。
その時、「ああ、形は違っても、本質においては同じよね、同じ生命よね」と思ったのです。すると、向こうも、そうそうとうなずくのです。その時、生命との一体感を感じました。
これは、動物だけじゃなく、木々や植物とも起こりました。するともう、寂しいとかいうのはないのです。生命との一体感ですから、全ては一つという。みんなちゃあんと、あいさつしてくれるのです。

その後、沖縄の移住地に移り、今の奥さんであるユキさんと出会いました。その頃も、大変な大酒飲みだったのですが、ユキさんの家系も酒飲みは人ではないというぐらい酒飲みが嫌いな家で、ユキさん自身も酒飲みは嫌いだったそうです。
そこで面白いのが、ユキさんの家に、娘さんをくださいとあいさつに行ったときに、酒を勧められ、ついつい飲みすぎてしまい、歩いて帰れなくなり、次の日の朝まで、家の脇の側溝に倒れてはまっていたそうです。普通なら、ただでさえ酒飲みが嫌いで、さらにそんなことまでしたのですから嫌われそうですが、とうとう運命は変えられず、一緒になりました。それが、断られても、断られても・・・という意味。

ボリビアでの夫婦生活のスタートは、貧困を極めました。持ち物は、夫婦でお茶碗1個とさじ1つ。2人で、あんたが食べたら、ハイ今度はあんたが食べなさいと、お互いに食べさせました。家には、窓はあってもガラスがない。ある寒い冬の時です。毛布も2人で1枚しかないわけですから、その時長男が生まれていましたので、その毛布は子供にかけて寒くないようにくるんでやって、2人はたき火を焚いて、その周りで背中を温めたり、今度は前を温めたりして、寒くないよう一晩中お互いに身を寄せ合って過ごしたことがあります。
そうした思い出が、今本当に宝になっています。今は豊かになって、ちゃんと人数分ありますが、そうした、夫婦の一体感と言うんでしょうか?そうした体験と言うのが、本当に夫婦の愛ではないかと思います。貧しくてはあっても、本当に苦しいと思ったことは一度もないそうです。希望で燃え立っていたからです。

ボリビアでは農業をしていまして、大成功した時もあります。ある時、綿花の栽培なんですが、一夜にして寒波で全部やられるという体験をしました。その時は、「日本に帰れ」という啓示を受けていたのですが、お金や仕事に対する執着がまだありましたので、なかなか手放せなかったのです。
ちょうどその前からも、「日本に帰り、神理を説きなさい」という啓示はあったのですが、無視していますと、ある時太陽を見た時に強烈な光の矢が飛んできて、目に突き刺さり、目が真っ黒に焼けて失明するのではないかと、いうことがありました。
その時は、もう目が見えないなら何をやっても駄目だ、自殺でもしようかと、本当に落ち込んだそうです。そして、「神様、すみません。従いますので、お許しください」と何回も謝りました。そうして、目は見えるようになったのですが、しばらくするとまた欲がはたらいて、すぐには帰らなかったそうです。
すると、今度は農場の件です。一夜でダメになり、大きな借金ができました。やればやるほどダメになる。これはもう帰るしかないと、決心して、日本に帰ってきました。

日本で神理や法を説く人が必要だと、それは思っていましたが、まさか自分だとは思っていなかったのです。
この時の件で、後に氏は「日本に帰るのが10年遅れました」と話していました。                  シャンバラへ


posted by ◯∞ at 11:29| ボリビアの体験 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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